最高裁判所第三小法廷 昭和54年(行ツ)145号 判決 1984年5月29日
福岡県糸島郡前原町高祖六二五番地
上告人
内田大作
右訴訟代理人弁護士
水谷昭
福岡市西区百道一丁目五番二二号
被上告人
西福岡税務署長 中村矗
右指定代理人
馬場宣昭
右当事者間の福岡高等裁判所昭和五二年(行コ)第二八号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五四年七月一七日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人水谷昭の上告理由第一点について
原審が適法に確定した事実関係のもとにおいて、昭和四八年一月五日に決済された建玉に係る所論の損金(以下「本件損金」という。)を昭和四七年分の所得の計算に算入することはできないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、独自の見解に基づき原判決を論難するものであって、採用することができない。
同第二点ないし第四点について
所論は、要するに、上告人のした本件商品先物取引による所得(以下「本件所得」という。)は事業所得と認めるべきであるとし、その前提に立って、本件所得を雑所得として課税した本件課税処分の違法を主張し、この点に関する上告人の主張を採用しなかった原判決を種々非難するものである。
しかしながら、原審が確定したところによれば、上告人は昭和四七年中において本件商品先物取引により差引合計三三二六万八一〇〇円の所得を得たというのであり、本件損金を同年分の所得の計算に算入することができないことは右第一点について判断したとおりである。したがって、本件においては、本件所得の性質が事業所得であると雑所得であるとのいかんを問わず、損益通算に関する規定(所得税法六九条)の適用が問題となる余地はなく、本件課税処分の課税標準たる総所得金額に異同が生ずることもないのである。してみると、前記事実関係のもとにおいて、本件所得は事業所得であって雑所得ではないとの主張を前提とする所論違憲・違法の主張は、本件課税処分の適否に影響を及ぼさない事項に関するものとして、すべて失当というべきである。論旨は、違憲をいう部分を含め、ひつきよう、原判決の結論に影響を及ぼさない事項について原審の判断を不当とするものであって、いずれも採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 木戸口久治 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡満彦)
(昭和五四年(行ツ)第一四五号 上告人 内田大作)
上告代理人水谷昭の上告理由
第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があります。
一、まず、最高裁判所昭和四十九年九月八日第二小法廷(昭和三十九年(ア)二六一四号、所得税法違反被告事件刑集一九巻六号、六三〇ページ)、及び最高裁判所昭和四十七年十二月二十六日第三小法廷(昭和四十一年(行ツ)第一〇二号、所得税更正処分取消請求上告事件)民集二六巻一〇号、二〇八三ページ)の各判例に違反しております。
前者の判例は、不動産譲渡に関する事業所得の所得税法上収入計上時期について、いわゆる「権利確定主義」が採用されたと言われている判例であります。
判旨は、「所得税法十条一項(旧法)にいう収入すべき金額とは、収入すべき権利の確定した金額を言い、その確定時期は、いわゆる事業所得に係る売買代金債権については、法律上これを行使することができるようになった時と解するのが相当である」。との判断を示しておるものであります。
後者の判例は、いわゆる割賦払いの不動産の譲渡所得について、割賦払いの期間が長期に亘る場合であっても、契約当日の支払いと共に買主に対する所有権移転登記が経由されたものである場合には、旧所得税法九条一項八号に言う資産の譲渡が行われたことが明らかであり、同日の属する年度において収入すべき金額に該当するというものであります。
二、「収入がどの年度に帰属するか」については、現実の収入の時点を基準とする考え方(現金主義)と、現金の収入がなくても所得が発生した時点を基準とする考え方(発生主義)とがあり、更に発生主義の中でも、どの時点で所得が発生したとみるべきかについていろいろの考え方があります。この点につき所得税法は「各種所得の金額の計算上、収入金額とすべき金額、又は総収入金額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、その年において収入すべき金額とする」。(三十六条一項)と定めておりますが、一般に「収入すべき金額」とは「収入すべき権利の確定した金額」のことであり、したがって、この規定は広義の発生主義のうち、いわゆる権利確定主義を採用したものと言われております。
これは今日の経済取引においては信用取引が支配的でありますから、例え現実の収入がなくても、収入すべき権利が確定すれば、その段階で所得の実現があったものと考えるのが合理的であるという考えに基づくものであります。したがって、権利確定主義における「収入すべき権利の確定する時期」とは個別の契約による債務の弁済期、すなわち、法的手段に訴えて債務の履行を求めうる時期ではなく、私法上特別の約定のない場合に収入しうる時期を意味すると言うべきであります。
すなわち、通常の経済人ならば、収入の実現を図り、又は実現が可能とされる状態をもって権利の確定の時期とすべきであり、また、所得の生ずべき権利が所得実現の可能性の高い程度に成熟確定している時期でもあります。
三、ところで、原判決は第一審が認定した「商品取引に係る損益は上告人と訴外会社との間において、商品買い付けの委託契約が成立しただけでは、たとえその委託の内容が成り行きで決済してほしいとの趣旨であっても、ただそれは委託に係る取引の成立する蓋然性が高いというにとどまり、それ自体は委託価格特定のための一方法に過ぎない」。旨の認定を支持し、かつ、「証拠によれば、商品先物取引における成り行を注文の場合は、商いが非常に少ないとか、売買の状態が一方に偏しているような特殊の場合を除けば、取引が全部成立するものであることが認められるが、それとて、受託者が受託した注文を取引の場に出したことが前提であって、右のことから直ちに損益が確定するものとは認められない」。旨の認定を加えて原判決を支持しているのでありますが、原判決の認定は、いわゆる税法上の「所得」の概念を誤り、かつ、商品先物取引の性格の認定を誤った結果、いわゆる収入計上の時期の判定について、前記の最高裁判例に反しているものであります。
四、そこで、まず所得の概念についての原審の事実認定及び解釈の誤りについて指摘したいと思います。
所得税法に言う「所得」とは、真の意味における所得は、財貨の利用によって得られる効用と、人的役務から得られる満足を意味するのでありますが、これらの効用や満足を測定し定量化することは困難でありますから、所得税の対象としての所得を問題にする場合には、これらの効用や満足を可能にする金銭的価値で表現されるものであります。そして、その場合には、いわゆる取得型(発生型)の所得概念、すなわち、各人が収入等の形で新たに取得する経済価値(生産された富)換言すれば経済的利得を所得と観念するものであります。
つまり、「所得」という概念は、いわゆる借用概念ではなく、所得税法上固有概念の一つでありまして、それは経済上の利得を意味するものでありますから、その利得の原因をなす行為や事実の法的評価を離れて実現した経済的結果に即して判定すべきものであります(兼子宏・租税法一〇三ページ)。
しかるに原審は、所得の概念について深く究明することなく本件商品先物取引における所得を、形式的な契約関係で把握しかつ、その契約の法的評価のみをもって「受託者が受託した注文を取引の場に出したこと」を前提として形式的評価を加え、前述の経済的利得、実現した経済的結果に即することを忘却して所得の帰属年度を認定した違法があるのであります。
原判決は、上告人が本件取引の委託契約から決済に至る経緯として主張した事実関係(原告主張第三項)につき「上告人は昭和四十七年十二月二十日現在において二月限月生糸八八枚、三月限月四八枚、四月限月五〇枚の先物商品の売り建玉残があったので、同日訴外会社(サンライズ貿易)に対し、右建玉に見合う商品を買い付け決済すること(以下、本件取引という)を委託した。その際条件として、一応差し値を二、一〇〇円とし、それで買い付けができない時は、同年の大納会(十二月二十八日)の最終節で成り行きで買い付け決済をつけるように注文し、右訴外会社はこれを承諾した。ところが、右注文を直接受けた訴外会社の事業部長渡辺真は、取りあえず差し値伝票の手続のみをして大納会で成り行き注文をして決済する旨の手続を失念してしまった。
そこで、差し値分の取引は結局不成立に終り、右失念に気付いた訴外会社は、翌昭和四十八年一月五日、前期建玉の成り行き決済を行い、これにより上告人の売買損金は四、〇〇六万二、〇〇〇円となった旨の事実については、第一審原告が、大納会最終節で成り行きで買い付け決済をつけることを注文し、訴外会社がこれを承諾したこと及び、訴外渡辺事業部長が右の決済手続をするのを失念したことを除いて、当事者間に争いがなく、右争いのある事実についても証人渡辺真の証言及びこれにより成立の認められる甲第一ないし第三号証、並びに第一審原告本人尋問の結果によってこれを認められるのである」旨上告人の主張事実のとおり認定、確定しているのであります。
五、右の確定された事実関係に基づけば、当然上告人が本件商品先物取引において、訴外会社との間に決済すべき取引の結果は、大納会においての最終節の買い付け値段によるべきものと認定すべきであります。にもかかわらず、原審が「受託者が受託した注文を取引の場に出したこと」に固執したのは、いわゆる商品先物取引についての経済上の利得の解釈、すなわち、「所得」の概念についての解釈及び商品先物取引契約の性格についての事実認定及び法律の解釈を誤ったものというべきであります。
そこで、商品先物取引契約の性格及び当事者の結果の承認についての実際取引の慣習について検討いたします。
商品先物取引については、第二点で主張しますとおり、「高度に技術化された売買組織の下に、大量かつ迅速に行われる集団的経済取引であって、右取引自体は純然たる賭博や競輪、競馬における車券ないし馬券の購入とはその性質を異にする」ものであり、また、「商品先物取引や株の信用取引の場合には、一般的には人的、物的施設の必要はなく、直接の取引の相手は取引員、証券会社で、しかも顧客としての立場だけという閉鎖的な取引であります。」つまり、商品取引所の商品市場で売買取引をすることができるのは、訴外会社のような取引所の会員に限られているのでありますから、一般人である上告人は直接その売買取引には参加できないのであります。つまり、この取引関係を分析しますと、上告人の契約の相手方は、取引所の会員たる右訴外会社でしかあり得ないのであります。したがって、この閉鎖的な取引の特徴及び実際に行われております取引の慣習が、本件取引による所得の概念の構成に重要な役割を果たしている筈であります。
六、そこで、本件取引の性格と当事者の結果の承認についての態様を検討いたしますと三つの種類があると思われます。
すなわち、まず、
(一) 一般的には、原審が指摘しておりますように、顧客が取引員に委託し、受託者たる取引員はその委託の趣旨に基づいて註文を取引の場に出し取引市場において売買が成立する場合であります。
(二) しかし、例外が二つあると思料します。
(イ) その一つは、取引員の故意に基づく取引の成立であります。これはいわゆる「呑行為」の場合であります。「呑行為」は、委託者としては、商品取引市場で取引が成立することを予期して商品取引員に注文委託をしたが、受託者たる商品取引員が市場に出さず、自己との取引関係を成立させる場合であります。この「呑行為」は、法律によって禁止されておりますが、(商品取引法第九三条)現実に「呑行為」が行われた時には、商品取引所たる市場に出さなくても、委託者が商品取引員に注文した時に委託をした者の商品取引に関する所得(経済的利益)として課税されることは、被上告人も認めているところであります。
(ロ) 例外の二は、商品取引員の過失の場合であります。(イ)に前述した取引は、商品取引員の故意に基づく所得でありますが、商品取引員の過失に基づく場合でも、取引が成立したものとして当事者双方が委託の趣旨どおりの結果の承認をしたような場合にも、やはり所得が発生したものと認められるのであります。すなわち、本件のように委託者が商品取引員に成り行き注文を発したにもかかわらず、当該取引員がこれを失念した場合であります。原審が認定している前記本件取引の経緯の事実関係でも明らかなとおり、上告人と訴外会社との間においては、大納会の成り行き注文によって成立した値段をもって本件取引の結果を承認しているのであります。これは、通常の経済人ならば、収入の実現を図り、または実現が可能とされる状態、あるいは所得の生ずべき実現の可能性の高い状態を意味するのであります。つまり、顧客と取引員との、経済人当事者にとっては、受託した趣旨と実現した結果との間に齟齬があった場合にも、受託した趣旨に基づいて結果が得られたであろうという可能性を当事者は承認し、その事実に基づいて当事者は差損金を償還するのが、商品先物取引における慣習でもあります。
しかるに、原審のように、「受託者が受託した注文を取引の場に出したことを前提」といたしますと、原審で上告人が主張した如く、いわゆる所得税法上に言う「所得」の概念、すなわち、経済的利得という固有の概念を看過し、形式的な法律論、あるいは法的評価に惑って、いわゆる所得の概念を失念した結果、市場における取引の成立の結果と当事者の契約の趣旨に基づく結果との差額、すなわち差損金についての償還金を損害賠償として評価する結果、商品先物取引における所得と損害賠償上の所得と二重に評価する結果となり、極めて不当であるのであります。
七、右を要するに、本件商品先物取引における収入すべき権利の確定した金額とは、一般的に委託者が受託者に注文を発し、受託者がこれを市場に出して成立した場合を把握することが通常ではありますが、例外的な場合、すなわち受託者である取引員が故意に委託の趣旨に係る取引を成立させたいわゆる「呑行為」の場合、及び、委託者が受託者に発注した受託の趣旨に沿った執行を受託者が失念して、過失(委託者の委託の趣旨を間違えて場に出した場合などは特に明らかである。)によりその結果を招来させなかった場合には、委託者と受託者が、委託者の委託どおりに執行したならば実現したであろう結果を互いに承認した場合(その本来の趣旨に沿って執行したならば、その結果が成立する蓋然性が高い場合を含め)、その委託者が発注した時に収入すべき権利が確定しているものと認定するのが相当であります。
したがって、本件取引における上告人の商品先物取引による所得の収入すべき金額は、昭和四十七年十二月二十八日に成立したものと認定すべきであり、その所得の帰属年度は四十七年と認定すべきであります。
八、商品先物取引の特殊性を振り返りますと、建玉の売りについては、買い注文の執行によって決済され、建玉の買いについては売り注文によって決済される、すなわち反対売買でその先物取引が完了するわけであります。この間に当事者の過失があっても、すなわち、取引員が委託者の委託の趣旨に従った執行をなさない結果、当事者間で当初承認した結果との間に錯誤があった場合であっても、結局、当事者間においてはその委託の趣旨に沿った一経済取引の結末をもって解決をすることに変わりはないわけでありますから、この当事者の過失をもってこの取引を二つの経済的利得に分割するのは、いわゆる所得税法上の一所得」、換言すれば経済的利得の概念を忘れた法的評価と言わざるを得ないのであります。
実際の商品取引業界においても、委託者保護の立場から、委託者の委託の趣旨が尊重されておりまして、もし紛議に持ち込まれた場合は、その委託の趣旨に反した結果との間の差損は償還されるわけであります。したがって、経済的利益としては、委託者の発注によって成立が予測される場合、つまり、本件では成り行き注文によって委託の結果が成立する蓋然性が大きいような場合には、その成り行き注文によって成立した筈の結果、本件では大納会の最終節における取引値において取引が成立したことを意味するものであります。
よって、原審は、「所得」の収入すべき権利の確定する時期に関する事実認定と法律の解釈を誤り、冒頭の最高裁判例に反し、法令違反があり、破棄を免れないものと思料いたします。
第二点 原判決には法令違反があり、判決に影響を及ぼすことが明らかでありますから破棄を免れないものであります。
一、原判決は、商品先物取引に関する最高裁判所昭和四十七年二月九日第一小法廷判決・昭和四十三年(行ツ)第四九号所得税更正処分取消等請求上告事件(税務訴訟資料六六号九四〇ページ・第一審福井地方裁判所昭和三十九年十二月十一日判決・行裁例集一五巻一一号二三一四ページ・名古屋高裁昭和四十三年二月二十八日判決・行裁例集第一九巻一・二号二九七ページ)の判断と齟齬した違法があります。
すなわち、同事件においては、本件商品先物取引の事実態様と全く同一の事例について、納税者側の「清算取引による所得は、高度に臨時偶発的かつ不規則的であり、客観的営利性は認められず、賭博類似の行為であって、社会通念上事業とは認められないし、事業に必要な人的、物的施設も全く所有していないのであるから事業の対称とはならない、」の主張に対し、福井税務署はこの主張を真っ向から否定したものでありますが、第一審判決は「商品取引所における先物取引は、高度に技術化された売買組織のもとに、大量かつ迅速に行われる集団的経済取引であって、右取引自体は、純然たる賭博や競輪、競馬における車券ないし馬券の購入とは、その性質を異にする……右取引を前記の如く多数回にわたり継続的に行った原告の本件先物取引による所得は、事業所得に該当する」。「所得税法上の事業所得発生の基因となる事業とは、対価を得て継続的に行う事業、換言すれば、営利を目的とする継続行為であって、社会通念上事業と認められるものを指称すると解すべきところ、清算取引は、前記のとおりそれ自体が高度に技術化せられた商品売買であるから、営利を目的とするものであることは明らかであり、これを相当期間にわたって継続して行う場合は、社会通念上も事業と認められるに至るものであって、右要件を充す限り、さらにこれを職業として行うことも、また人的、物的の施設などを具備することも必要とせず。さらにまた清算取引を行う者が人絹等の販売業、製造業を営む営業者であると否とを問わないものというべきである。」と判示して、納税者の請求を棄却しております。
さらに、控訴審判決では、清算取引の内容を検討し、その本質は商品の売買であると判断したほかは、これとほぼ同様の理由を示して棄却しております。
そして、上告審においては、「原審の判断は、正当として首肯するに足り、原判決に所論の違法はない。」との理由のもとに上告を棄却したのであります。
二、上告人は「本来、商品、先物取引と言われるものは、賭博行為と同じくあるいはそれ以上に、採算的には極めて危険な取引であるから、<1>そこには客観的に営利性を求めることはできず、利益を得たものは単なる結果的、偶然的なものに過ぎず、<2>そのように不安定、危険なものであるから継続的に行うことも客観的には不可能なものであり、<3>それ故にまた、社会通念上も職業とか事業とかであるとは評価されない」と主張した。
これに対し第一審及び控訴審は、<1>については営利を目的とする、<2>については継続的行為である、<3>については社会通念上事業と認められるものと判断しております。この営利目的として大量の取引を反覆継続して行われる場合には、「社会通念上も事業と認められるに至る」と判示し、その要件を充す限り、「これを職業として行うこともまた人的、物的の施設などを具備することも要しない」の判断を示しており、最高裁判決もこの結果を商品先物取引について是認しております。
三、本判例の商品先物取引の具体的事例と本件事例とは、事実関係も全く同一の態様であります。また、主張内容については、納税者と徴税当局とが全く反対の立場になった対象的なケースであると思います。
すなわち、本件では、上告人が事業所得であると主張したのに対し、徴税当局は事業所得性を否認したのであります。そして、否認した理由として、物的、人的施設を具備していないこと、及び上告人の職業が商品先物取引を目的としない本来の本職を持ち、副次的取引であることを主張したのであります。
これについて原審は、右最高裁の判例に反し、上告人が九州電気建設工事株式会社取締役技術部長としての本職を有していること、上告人は余剰資金の運用を取引員を通じて訴外会社にほとんど一任していたこと、したがって、恒常的な収入をそこから容易に期待し得ないものであり、事業としての社会的客観性に乏しいと判断して、本件控訴を斤けたのであります。
しかし、上告人が昭和三十五、六年頃から商品先物取引を始めたこと、当初は小豆を中心にやがて生糸、人絹等にも手を広げ、年間相当枚数の取引をしたことを認定しながら、「恒常的な収入をそこから容易に期待し得ないばかりか、事業としての社会的客観性にも乏しい」との矛盾した認定をしたのであります。
しかしながら、前記判例によれば、「清算取引は、それ自体が高度に技術化せられた商品売買であるから、営利を目的とするものであることは明らかであり、これを相当期間にわたって継続して行う場合は、社会通念上も事業と認められるに至るものであって、右要件を充す限り、さらに、これを職業として行うことも、また人的、物的の施設などを具備することも必要とせず、さらにまた清算取引を行う者が人絹等の販売業、製造業を営む営業者であると否とを問わないものというべきである」旨の判決に反しているのであります。
上告人は、前記判例の判断に従うものであります。すなわちサラリーマンがたまたま一・二回程度行うものは事業とは言えないものでありますが、これがある程度以上に大量かつ反覆継続相当期間継続して行われることによっては、必ずしも使用人、店舗などの人的・物的施設は必要としないものであり、反覆継続するところに事業性が萌芽、内蔵されておるものと考えるのであります。
原審が、上告人において訴外会社の会長加藤幸男氏に全幅の信頼を寄せ、「支店長に権限を任せるというような感覚」で、同人に取引の代行をさせ、最終的には自分で判断することとなるとしても、個々の取引に当っての委託買付け等の計算報告書も訴外会社から一度も送付を受けたことがなく、右加藤氏及び訴外会社にほとんど一任し、自己の計算で架空名義の取引がなされていることさえ知らなかったことが認められるという事実をもって、社会的客観性を否定しているものと思料されますが、判示する取引方法は、取引技術の問題であり、近代的資本主義経済体制下における取引においては、商法の代理商、問屋、仲立人の制度において法的にも是認せられまた商品先物取引業界の慣習によってもいわゆる「委せ玉」という言葉のあるように判示されている取引方法は取引における技術手段として是認されているものであり、このことをもって取引の客観性、社会性を否定することは正当でないと思料します。
科学的に組織された取引の情報網、連絡網ということが必要とされる商品取引における特殊な性格から、その取引員に全幅の信頼を寄せて取引の方法について一任したとしても、商品取引経済業界においては取引の技術の問題に過ぎないと思料します。しかも、その計算の結果、すなわち、取引の損得が上告人に帰属するものでありますから、その取引方法、技術の一側面を捉えて事業性を否定することは商品取引の技術取引の実態を正しく理解しない違法な認定であると言わなければならないのであります。
四、被上告人(西福岡税務署長)の主張は前記判例における福井税務署長の主張と、本事件における事実関係態様が同一にも拘らず全く相反しているのであります。すなわち、福井税務署長は、右事件においては納税者に課税処分を行うに当って、商品先物取引による所得は、継続的に行われれば事業所得に該当し人的、物的の施設などの具備は必要でないと主張しているのに対し、本件では、西福岡税務署長は、全く反対の事実を主張しているのであります。
しかしながら、所得税法の解釈は各地の税務署長において恣意的になされるはずはないし、また、税務署長は国の一行政機関でありますから、一税務署長の主張は国としての主張でもあります。したがって、一税務署長が裁判において具体的に主張した現税法の解釈については、別個の事件とは言え事実関係態様が同一なものについて全く反対の解釈に基く主張をすることは、信義則上許されないものと考える次第であります。すなわち、原審においての被上告人の主張は信義則に反し、いわゆる禁反言の法理にも反する違法な主張であります。
五、なお、上告人は原審において昭和五十三年十一月二十二日付け準備書面第二の二において、福井税務署長の主張を引用し、本件における被上告人の主張と矛盾し信義則に反する禁反言の法理に触れる主張をしているにも拘らず、この点についての判断を原審が脱漏している違法もあります。
以上の理由から、被上告人の主張を是認した原審の判決は違法であると思料いたします。
第三点、原判決は判決に影響を及ぼすべき法令違反があり、破棄を免れないものと思料いたします。
一、原判決が商品先物取引について上告人の事業所得の主張を否定したのは、憲法第八四条の租税法律主義に違反した違法があります。すなわち、租税は財政需要の充足のために、国民の富の一部を国家の手に移すものでありますから、その賦課徴収は必ず法律の根拠に基づいて行わなければならないことを憲法八四条は明示しております。
租税法は国民の納税義務を定める法律であり、その意味で国民の財産権への侵害を根拠づけるいわゆる侵害基範でもあります。侵害される納税義務者たる国民の権利を保全するためには、その侵害基範である租税法が法律によって成文法として明確にされていなければならないというわけであります。そして、租税法は、多数の納税義務者に関わりを持つものでありますから、相手方の意思如何に拘らず同一の状況にあるものは同一に、そして同一の状況にある事実は同一に取り扱われ、かつ画一的にその適用がされなければならないことは、理の当然であります。
二、租税法律主義の内容としましては、「課税要件法定主義」、「課税要件明確主義」、「合法性の原則及び手続的保障の原則」があります。その中で、課税要件法定主義は、刑法における罪刑法定主義になぞらえて作られた原則でありますが、課税の作用は、国民の財産権への侵害でありますから、課税要件のすべてと租税の賦課徴収の手続は法律によって規定されなければならないということが意味されております。(最高裁昭和三十年三月二十三日判決、民集九巻三号三三六ページ)
また、課税要件明確主義は、法律またはその委任の下に政令や省令において課税要件及び租税の賦課徴収の手続に関する定めは、一義的かつ明確でなければならないわけであります。
不明確な定めには行政庁に一般的白紙的委任をしたと同様の結果になり、行政庁の自由裁量を認める結果になるからであります。
三、本件事例のような商品先物取引について、全く同一の事実関係、態様にある所得が、一方では事業所得となり、(第二点に詳述した)一方では雑所得と判定される(本件原審判決)ということは、税法上の所得の解釈については税務当局の認定という行政の判断が法の適用を異にする結果を招来することになります。
このことは、所得税法二七条(事業所得)と同法第三五条(雑所得)との規定が、右に述べた租税法律主義の内容と抵触し、憲法第八四条に違背する結果を招来しているものと判断せざるを得ないのであります。
第四点 原判決は、法令の違背があり、判決に影響を及ぼすことが明らかでありますから破棄せられるべきであります。
一、原判決が、本件取引上の所得を雑所得と認定したことは、憲法第二九条(財産権の保障)、第一四条(法の下の平等)、第二二条(職業選択の自由等)の規定に違反するものであります。
原審は、上告人の本件取引上の所得を雑所得として認定し、損益通算の規定が適用にならないことを判示しておりますが、所得税法第六九条の損益通算の規定は、財産権の保障を規定した憲法第二九条及び法の下の平等を規定した憲法第一四条及び職業選択の自由を規定した憲法第二二条に違反する法律の規定であります。
三、各種の所得の金額を計算する場合に、ある種の所得についてマイナスが出た時は、総合所得課税の建前から、その所得間において損益を相殺し、更にマイナスがある場合には他の種類の所得のプラスと相殺することが憲法第二九条の建て前から当然であると思料いたします。
ところが、所得税法上は、不動産所得の金額、事業所得の金額、山林所得の金額または譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額があるときは、その他の各種の所得の金額から損失の控除をする旨を定めておりますが、雑所得についてマイナスが出た場合は他の所得のプラスとの相殺を認めておらないのであります。これは財産権を保障した憲法第二九条に反する規定条文であると思料いたします。
(1) 原審判決は、損益通算において雑所得のマイナスを考慮しない理由について、「所得税法が立法政策として所得分類制を採用しているのは、所得がその性質によ担税力を異にし、担税力に即した公平な課税を行うために、所得をその性質毎に分類した上、その担税力に適した計算方法と課税方法を定める必要があることに由来し、雑所得と他の所得の間には、所得の発生する状況に差異があり、雑所得においては多くは余剰資産の運用によって得られるところのものであり、その担税力の差に着目すれば、雑所得に他の所得との損益通算の規定がないことにはそれ相当の合理性を認めることができるから、それをもって憲法第二九条に違反するとの見解は採用できない。」旨判示をしております。
しかしながら、これは担税力についての解釈または認識に誤りがあります。すなわち、原判決の言う担税力とは、「多くは余剰資産の運用によって得られる」の表現にも明らかなように、納税者自身の資産、富裕の程度を担税力の判定にしているのであります。しかしながら、所得税法上の各種の所得における担税力の判断は、その所得の範囲において論ぜられるべきものであります。しかるに、原審の言う担税力の判断は、所得税法上の所得の種類による判断ではなく、納税者の富裕、資産の程度までも考えた担税力の判断であります。なるほど例えば、立法をする際に、新たに課税要件として納税者の富裕の程度、あるいは資産を対象にする場合においては、その担税力の判断の対象は納税者の富裕の程度・資産を対象にすることは否めませんが、それはあくまで立法の問題であり、また、対象が資産という会計学上から見れば貸借対照表勘定の資産の部を対象にしているものであります。
(2) 所得税法上の各種類の所得を前提にした担税力の判断においては、右のような判断は誤りであります。何故なれば、所得は各人が収入等の形で新たに取得する経済的価値(生産された富)を前提とする観念であるからであります。つまり、各種の所得においては、プラスの所得が人の担税力を増加させる利得であります。しかし、マイナスの所得において担税力を是認する余地は全くないわけであります。これは、人の担税力を増加させる利得であっても、未実現の利得―所有資産の価値の増加益―及び帰属所得―自己の財産の利用及び自家労働から得られる経済的利益―は、どこの国でも原則としての課税の対象から除外されていることからも明らかであります。わが国でも、所得税法は所得を収入の形において捉えておりますから、それらは課税対象から除かれているのであります。また、納税者が取得した経済的価値のうち、原資の維持に必要な部分は所得を構成しないことからも明らかであります。つまり、所得税法上の各種の所得を云々する場合の担税力とは、いわゆる会計学上の損益勘定におけるプラスの部分を前提とすることは明らかであります。しかるに、原審判示の担税力の判断は、前述したとおり所得税法上の所得の種類前提としない異質の尺度をもってした判断であり、これは担税法定主義にも反すると考え方と言わなければならないのであります。
四、次に、所得税法六九条の規定によって、雑所得上の損金のマイナス部分が他の所得と通算できないことは、法人税法上の所得との取り扱いにおいて差別されており、これは憲法一四条の法の下の平等に反するものと思料いたします。
(1) 憲法一四条第一項は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において差別されない。」と規定されております。したがって、納税者が個人である場合と法人である場合とに拘らず、同一事実関係、態様において納税義務を負わされる場合においては、経済的に差別されないことがこの規定で保障されているものと思料いたします。
(2) ところが、所得税六九条によれば、前述のとおり個人納税者においては、雑所得と認定されますと、その前提となる経済取引関係が全く同一の態様であるに拘らず、その雑所得におけるマイナスは他の所得と相殺、通算できませんから、そのマイナスはいわゆる足切りになり、消極的に課税される結果になるわけであります。
これに対し、法人税法上の所得とは、「その事業年度の益金の額から損金の額を控除した額をいう。」(法人税法第二二条)のでありますから、法人が商品先物取引を行った場合においては、その取引から生じる損金はすべて通算される結果となるわけであります。つまり、法人の場合には個人の雑所得に当たる商品先物取引による所得のマイナスがあっても、他の益金から控除されますので、マイナス部分についての課税ということは起こり得ないわけであります。
(3) してみますと、同じ経済上の取引の事実関係あるいは態様における損益の扱いにおいて、個人と法人の納税者は経済的に差別されているという結果になります。この原因は所得税法六九条にあるのであり、まさに憲法一四条に違反しているということが明らかであると思料いたします。
五、原審の雑所得及び損益通算規定の認定は、職業選択の自由憲法二二条の規定に反するものであります。
原判決摘示の控訴審における被控訴人の主張の第一項二の(2)、「商品先物取引は、短期間における価格の変動を利用して売買差益を稼ぐという投機性の強いもので、恒常的な収益を期待できるものとは言えず、本来事業になじみ難い性格を有するもの」同項三の(3)、「支出内容が趣味的、娯楽的ないし奢侈的な傾向を有するものが少なくなく、その支出には所得の処分たる性質が認められ、反面、これによる収入は生活の資を得る目的ではなく、余剰資産の運用によって得られるもの」との主張及び、前述した判示事実、「雑所得は多くは余剰資産の運用によって得られるところのもの」との判断を併せ考えれば、商品先物取引における所得は、いわゆる正当な職業(営業)上の所得と認められないという裏の意味が含まれているものと断ぜざるを得ません。
そして、その所得を雑所得と認定し、マイナスが出てもこれをプラス所得と通算しないという解釈は、結局、マイナス所得に対して課税するものと同一の結果を招来するわけでありますから、その結果、商品先物取引は課税上極めて不利益に取り扱われる結果となります。したがって、国民がそのような取引をすることは、他の職業(営業)を選択した場合との比較において差別されることになりますから、結局、憲法が保障している職業の選択の自由を犯す結果とならざるを得ないと思料いたします。
以上のとおり商品先物取引に基づく所得を雑所得と認定し、かつ損益通算を認めないと認定して、それぞれの法律の適用を行っている原判決は、前述の憲法に反した法律を適用した違法があります。
以上のとおり原判決は、法令に違背したものであり、それらはいずれも判決に重大な影響を及ぼすものでありますから、原判決は破棄を免がれないものと思料いたします。
以上